「職業としてのユタ」 ~自然体で経営者に寄り添う~

「職業としてのユタ」 ~自然体で経営者に寄り添う~
 伊良部 貴子さん(株)ポールスターオキナワゲートウェイ 顧問

今年から会社訪問もスタートし全国を飛び回っている伊良部 貴子さん

「今度うちが顧問契約を結んでいるユタを取材して下さい」ポールスターオキナワゲートウェイ社顧問の平良尚也氏にこう言われた時、「はい、いいですよ」と快諾したものの、はたして「ユタ」について何も知らないことに気がついた。東京の人間にとって沖縄はいつも、美しい珊瑚礁と海と亜熱帯気候の自然に恵まれた憧れの島。歴史的には時代に翻弄され続けているいわば「現在進行形」の注目すべき地でもある。しかし自分はこの20年間アジアに身を置き、その視野は沖縄どころか日本からもだいぶ遠ざかっている。さてどこから手をつけようかと思案していた矢先、新聞の文化面に『病癒すシャーマン』という題名で、沖縄の民俗医療に関する寄稿文が掲載された。それはユタやムヌスー(物知り)と呼ばれる沖縄の民間の巫者(霊能者)、文化人類学でいうシャーマン(宗教的職能者)の研究・調査に関する日本民族学専門家による考察記事だった。何か不思議な縁を感じ、早速沖縄でユタを職業としている伊良部貴子さんに話を聞いた。

「喉、痛くないですか?結構腫れて赤くなっていますね」伊良部さんはその男性を見るとすぐさま疲れている部位を言い当てた。男性は、この日の講演会でかなりの時間しゃべっていたため、確かに咽喉が痛いという。次に別の男性が相談する。「実は頸椎椎間板ヘルニアで、手術を8月か9月にする予定なのですが」。すると今度は「8月がいいですね。なるべく早いほうがいいですね」と即答する。男性は「はい、8月中に手術を予約します」 とホッとした表情を見せた。

初めて伊良部さんにお会いした際、知人らとテーブルを囲んでいた席で、実際に伊良部さんがアドバイスする様子を目の当たりにした。確かに彼女には何かを感じとる特別な力が宿っているようだ。

宮古島生まれ。6人兄妹の末っ子として生まれた。彼女が自分の特異性に気づいたのは5歳のときだった。ある日叔母と海岸を歩いていると、そこに知らない人の顔が見えた。「なぜあそこに人がいるの?」と聞いても、叔母には見えない。逆に叔母が「どんな人?男性?女性?」と質問する。宮古ではその昔、亡くなった方を海に戻す自然葬の風習があったそうだ。またある時は、近所で葬式を行っている家を見た。一緒にいた母には見えなかった。数日後、実際にその家のお祖父さんの葬儀が営まれたそうだ。

「沖縄では『サーダカ生まれ』っていうんですよ。そういう、勘が働くというか、見える、聞こえる、みたいな人を」という伊良部さん。この頃、自分が見えているものは母や叔母には見えていないことに初めて気づくとともに、自分がサーダカ(性高)生まれだということも自覚した。

母親はもともとユタ信仰の強い人だったという。6人目を産む際、身体もしんどいため諦めようと思った。「でもユタの所に行ったら、この子は助けてくれるから絶対産みなさいと言われて。大変だなんて言ってる場合じゃないって生まれてきたのがあなただったのよ」と小さいころによく聞かされたそうだ。単なる霊感を超えた特別な力に「母もきっと気づいていたと思うんです」と伊良部さんは言う。

その後高校を卒業するまで宮古島で過ごした。しかし中学時代に熱中したバスケットのせいか膝を負傷し、半月板損傷で手術をしなければならなくなった。ちょうど鹿児島の大学の幼児教育学部に入学したばかりだったが、リハビリ生活を余儀なくされる。入ったばかりの大学は2カ月で休学。沖縄に戻ると今度は別の病気も発症し、10か月に及ぶ入院生活が始まった。必然的に大学は退学せざるを得なくなり、特別支援養護学校の教員になる夢は遠のいた。

■出会いと修行

沖縄での闘病生活は19歳のうちに終わった。三番目の兄から、雑誌に出ていた沖縄のユタに「会いに行ったらどう?」と勧められたのはその頃だ。大学を退学し闘病生活も経験している妹を心配してくれた兄がそう言うなら、と会いに行った。それが師匠となる人物との出会いの始まりだった。

家族の節目や何かを決断しなければいけない時、また身体に不安を抱えたりした際、沖縄ではユタやムヌスーに「ハンダン(判断)を買いに行く」という。家族や先祖のこと、健康や進学や恋愛など家庭や個人の諸問題だけでなく、事業に関する問題など、多岐に渡る相談事に対し、ユタは問題解決の指針を示す。「民俗医療」の例としては、「具合が悪い人から相談を受けると、その原因をカミサマや先祖との関係という視点から診る」と、前述の日本民俗学の専門家は説明する。西洋医学と東洋医学の他にある、もう一つの伝統的・習俗的な方法が沖縄ではユタによる判断というわけだ。

「君はどうして色々と病気をしてきたと思う?きちんと自分がやらなきゃいけないことを全うしないからだよ」伊良部さんはこう師匠に指摘された。能力を見初めた師匠は、彼女の母親を沖縄に呼び「これから娘さんをしばらく我々に預けてください」と説得し許可をもらう。師匠のお客様は沖縄だけでなく全国各地に点在していたため、伊良部さんも月の半分は各地を飛び回った。お客様の名前や生年月日を聞き、霊視をし、その後師匠が先祖や土地の浄霊などをするという流れを、毎日朝9時から夜8時くらいまで続けた。しかしそういった生活は身体への負担も厳しく、「続かなくなりましたので、数カ月後にお休みをもらいました」と述懐する。不思議なことに、同じタイミングで師匠も家庭の事情でお休みしたいと言ってきたという。多忙な修行の日々はそこで終了したが、学んだ事は多かった。

伊良部さんが生まれた育った宮古島。母や兄たちは今も、宮古ブルーの海に囲まれた美しいこの島で暮らしている。(写真は宮古島北部の西の浜ビーチ)

南西諸島に数多くある御嶽(うたき=神を祀る「聖所」)。伊良部さんが生まれた集落では毎年旧暦の9月に、女性が御嶽を回って集落の繁栄や豊穣を祈願する「ユークイ」という祭祀があるという。(写真は漲水御嶽)

■転機

その後、沖縄で結婚し2人の子供をもうけた伊良部さん。しばらくは主婦として子育てをしながら暮らしていたが、転機が訪れたのは昨年末だ。知人を介してポールスターオキナワゲートウェイ社の平良尚也顧問を紹介され、ユタとして同社と正式に顧問契約を結ぶことになった。法人企業との初めての仕事がスタートし、その領域が格段に広がりつつある。

同社は「世界がリアルからバーチャルに潮流を変化させている時代、仮想通貨やVR(仮想現実)など、目に見えないけれども確かに存在する物事を理解し取り込んでいく大切さが重要」(笠木代表取締役社長)と説く。物質的なものも大事だが、精神的なものの大切さも今後ますます重要になってくるだろうという識見の下、沖縄独自の精神的文化を見直し、それを事業に取り入れていくべきと判断した。

ユタの歴史をみれば、琉球王朝時代や明治時代、「迷信的」として禁止令が出たり、戦時下には特高警察による弾圧もあった。またマスコミにも度々批判された。現代でもスピリチュアルな事象について否定的な意見が存在する。だが、もともとユタは沖縄の人々の生活に深く根付いている固有の文化・習俗。その沖縄の精神性をまとったユタを仕事に生かすことを同社が決断したのは自然の流れに思える。それを公表したのは同社が初めてではないだろうか。伊良部さんは「(ユタに対する)否定もありだと思います。だから(長年)隠れて生きてきたので。でももうそういう状況も終わりにしなければいけないということですかね」と、今回の縁をかなりポジティブに捉えていると教えてくれた。

現在、伊良部さんは同社の顧問として活躍するほか、北は青森から南は宮古島まで、法人・個人のクライアントも抱え多忙なスケジュールをこなしている。法人顧客を持つようになってからは特に、会社訪問が新たなルーティンに加わった。「会社訪問をしたりする中で、自分の存在というものが少しずつ理解されてきていると感じます」と手ごたえを語る。経営トップともなると、業績はもとより人材活用まで心配事は多いうえ、その悩みを軽々と人に打ち明けることなどできない立場でもある。伊良部さんは全身全霊を傾けて話を聞き、寄り添い、経営判断の参考となるアドバイスや、問題対処のヒント、従業員向け心理カウンセラーとしてのサポートなどを提供している。定期的な訪問によってフィードバックをもらえることも、今までにはなかったことだ。それが伊良部さんの更なるモチベーションや自信にもつながっている。

■「通訳」として

自分の役割は何だと思うか?と聞くと、「通訳だと思います」という答えが返ってきた。地球を含む自然あるいは神聖なものと、相談者が持つ守りびととの間に立って、対話を素直に伝授する役目。通訳として人々の精神面のメンテナンスをしているとでもいえば良いだろうか。間にたつ役であるがゆえ「自分の感情は入れない。自分には苦しみもありません。疲れもしません」という。

2人の子供を育てながら、伊良部さんは母として妻としてそしてビジネスパーソンとして、バランスよく自然体で職業としてのユタの役割をこなしている。「どのようなご縁も有難いと思って、誠心誠意その仕事に徹しなさい」――亡くなった父の言葉を胸に、「家族の支え、お客様の支えがあって今の自分がいることに、日々感謝しかありません」とほほ笑んだ。 

文・久保田久美)

 

<参考>

・病癒やすシャーマン 沖縄の民俗医療 20年にわたり人類学調査研究 東資子https://www.nikkei.com/article/DGXMZO44172730V20C19A4BC8000/

 

・沖縄民俗宗教の核 : 祝女(ノロ)イズムと巫女(ユタ )イズム 桜井徳太郎
https://ci.nii.ac.jp/naid/110004643204

 

<筆者プロフィール>
久保田久美
海外在住22年。1997年より共同通信社の子会社(株)エヌ・エヌ・エーのフィリピン版編集長を経て、香港、EU、オーストラリア、シンガポールにて同社現地法人の経営に従事。2018年に退職し、現在はバンコクを拠点にフリーランスのライター、編集者、翻訳家として活動中。