COMPASSコラム「時差という格差」

時差という格差

日本が戦後復興と高度経済成長によって急速に発展し、豊かな暮らしへの変化を謳歌していたころ、沖縄は米軍統治下で自治や人権の制約を受け、経済的発展から完全に取り残された。本土と沖縄との間にある27年に及ぶ「時差」は歴然としていた。

1972年の本土復帰を境に明るみに出たその差を埋めようと、道路や港湾などのインフラ整備から教育・福祉に至るまで、あらゆる場面において「本土並み」の目標が掲げられた。それは単なる時間的な「遅れ」であり、いずれ達成可能な物理的な差に過ぎなかった。それにも関わらず、“本土水準”に届かない様を、我々県民の多くは「劣る」と読み違えた。

早く目的に到達するために「急いで」行動すべきところを、思いがけないことに出くわし「慌てる」ように、我を見失った。日本からみれば辺境の地にあって、歴史的に異国民統治を受けてきた県民の、内向きでどこか卑屈な性質が招いた混乱、混沌ではなかったか。そのために、感性に直結する「自信」が揺らぎ、心定まらず、尻込みした者も、前進できなかった事柄も少なくない。

単に「遅れ」を「劣る」と読み違え、「急ぐ」べきを「慌てる」ように振る舞うボタンの押し違いが、いまだ尚、我々の内面に残る矛盾と違和感、日本人として生きることへのためらいの根源なのかもしれない。無意識の中の意識が心理的屈折を生み、単なる「時差という格差(論)」が「偏重という格差(論)」に変容して残っている卑屈ともいえる現実をみる。それは過去の経験を積み上げた直線的な思考習慣、惰性の回転が招いた未来である。

「沖縄問題」はいつも、「不本意ながら」「苦渋の」との修飾と共にある。問題への解を伏せたまま、漂流する船に揺られている。日本人という主体性が腑に落ちない、どこか曖昧さを抱えた沖縄人であるが故の定めともいえる。その曖昧さの中にいて、自らの内面を直視し、受け入れる術を持てない我々の未来は、未だ尚、曖昧である。

沖縄は、琉球処分や米軍統治の歴史、在日米軍基地が偏重する現代においても、主権や所属を求める「自己決定権」の在りかを問い続けてきた。個人に置き換えるならば、「自己決定権」とは、自己とストレートに向き合い、受容する勇気と技術を日々の自己との格闘と鍛練から獲得するものである。「生きる」とは修行である。他人への依頼心を削ぎ落とす旅である。依頼心があるが故に不遜で傲慢な行為をする。それが自らの感性に蓋をし、自身をもがき苦しめるに導く。それが道理ではないだろうか。

 タイトルに掲げた「時差という格差」は2010年8月1日、沖縄タイムス朝刊・経済面のコラム「オフィスの窓から」で自ら用いた言葉である。経済成長を加速させる共産圏の中国と、資本主義の先進地である米国との間でみた、時代の「変化」や「逆転」への予感を書いた。さらに、両国の間に生きる我々が「沖縄型の融合・融和力という価値をいかに持ち込めるか否かが、将来獲得できる時代的役割という利益の大小と明暗を左右するに違いない」と記した。あれから9年の時を刻み、沖縄を軸に世界、とりわけアジアを歩いてきた視点から、僕にはこれまでとは異なる「時差という格差」が見えてきたように思う。

 かつての単なる「時差という格差」は直線的に「時間」や「距離」の足し算、引き算から未来を想像する算数であった。なぜなら、移動も通信も容易には距離を超えず、“あたかも”などいう仮想現実はそこにはまだ存在しなかったからである。情報の交差点・集積地を「中央」といい、そこからの物理的距離が遠く離れるにつれ「地方」といい、さらには陸を超えて存在する地域は「離島」や「辺境」という。また更には離島には本島と離島という関係が続く。それはいずれも中央を起点に時間と距離によって発展段階と速度を測り “遅れ”や“劣る”を導く算数でしかなかった。

しかし今の「時差という格差」は、曲線的であり、掛け算、割り算で時空を超えてサーフィンする。次にどんな波が待ち受けているのかは、今の波の延長線上に、単なる経験の積み上げから想定できるものではない。想定の外にある事象が「常態」である。

従来の「中央」と「地方」や「本島」、「離島」との格差は、田中角栄氏の「日本列島改造論」に代表される様に、情報集積地から過疎地へと、情報というひと、モノを運ぶ道路を均一に整備する事で解決出来た。しかし今、テクノロジーの進化は、通信や移動が時間とお金というコストに依存することを忘れさせる程にその思考と行動の壁と、国境を下げている。私たちはそんな時代に生きている。つまり、どこからでも主役が出てくる時代だ。

理想的な未来は、境界を越えた多様な他者や事象との相対から、総体(ビジョン)を獲得する「知的腕力」によって生み出されると信じている。ビジョンを見定めたら、戦略的に実利を取りにいくとの気概で行動に移す。「行動」とは、日々、「相対」の材料となる活字と格闘し、思考をストレッチすることで培われる柔軟な「変化対応力」そのものである。

自在に格差を克服し得るこの新しい時代において、果たして「主役」に躍り出る覚悟はあるのか、沖縄人の気概が問われている。

(株)Polestar Okinawa Gateway
顧問 平良 尚也