COMPASSコラム「To teach is to touch the future ~未来とは子どもたち~」

To teach is to touch the future ~未来とは子どもたち~

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」で知られる福沢諭吉の「学問のススメ」は、人は貧富や社会的身分によって差別されるものではないとしつつ、学問に励んだかどうかで格差が生まれると説いた。明治期に西洋の学問にいち早く触れ、教育こそが独立した国家をつくると訴えたその教えは、文明開化以来、「日本人」としての基礎におおいに影響しただろう。国家を成す個々人に向けた「人材育成」の往年の教科書であれば、教育の急速な普及によって、現代の日本に染みついた暗記型教育の源流となったのではないかと想像する。

誰かに比べて“まだまし”というだけの学歴競争は、喜怒哀楽や価値観を育む感性に蓋をし、自信を失わせた。繰り返し暗記すればするほど息はつまり、積み木崩しの不安に駆られる。真面目に教科書をなぞってきた優秀な子に、不登校や、最悪の事態では自殺を選ぶ例は少なくない。日本の社会において、教育を受けることは学校へ通うことだ。学習についていけなかったり、なじめなかったり、困難や疑問を抱えながらも学校に通い続けようと努力する。しかし、その枠に収まりきらないある種規格外の子どもたちはどうすればいいのか。僕は2002年、そんな彼らにも未来をつくれることを、恩納村にあった「ドリームプラネットインターナショナルスクール」で目の当たりにした。

ドリームプラネットは1999年、千葉県出身の白井智子氏が26歳のときに、アクターズスクール校長のマキノ正幸氏の援助を受け開校した株式会社経営の私塾だ。対象は学年や国籍を問わない。学校教育法の認可を受けないスクールだったにもかかわらず、全国から小中高校生152人が入学し、すでに画一的な教育のひずみが顕著となっていた当時の教育界で注目された。

そこではまさに、校庭をグランドから青い海と砂浜に変えて人生をサーフィンに例えるかのように、不安定な足元の心幹、体幹を鍛え、たくましいリカバリーとバランスという学習力、その体得を試行錯誤というチャレンジさせることで養おうと試みた。その体得に至る道程が、ありのままの自分を受け入れる潤滑油となり、成長実感を与えた。知識や能力面にとどまらない、心や技、身体の面で変化していくその成長の質量や密度が濃くなるにつれ、生徒らは自身ではまったく知らなかった、あるいは気付いていなかった本来の自己との遭遇を果たした。子どもたちが、経験や出来事によって感じたことと、それを受けて考えることや行動に矛盾がない「自己一致」の感覚をつかみ、自分の目的や理想を実現させるために何を成し遂げるべきかを見いだす“欲求の喚起”を導くものだった。

一方で、ドリームプラネットは法律上の学校でなかったため、児童生徒の多くは「不登校」扱いにされ、その親たちの就学義務が問題になった。設立場所となる自治体の認可がおりない中で手をさしのべたのが、先日86歳で亡くなられた國場組元会長で県建設業協会元会長の國場幸一郎氏だった。國場氏は沖縄が本土に復帰した当時、リゾート観光の可能性をいち早く察知し、リゾートホテル「ムーンビーチ」の建設によって、観光立県OKINAWAの創造に向け種まきをした人物である。ドリームプラネットは、國場氏の理解と支援を得て、新時代沖縄の象徴ともいえるムーンビーチ内に設立された。わずかな期間だが、僕もそこに身を置くことができた。

「子が大人になりたいと思える社会をつくりたい」。僕は常々こんなことを考えながら、自らのキャリアを意識的に積んできた。それは、1990年代に沖縄水産高校野球部を2年連続甲子園準優勝に導いた名指導者、我が生涯の恩師でもある栽弘義監督からの薫陶があったからだ。「卒業して進路を見失う後輩が一人でも少なくなるように、後輩に道を拓いてほしい。そのために社会に役立ち、故郷のために働いて欲しい」と僕に語りかけた。

甲子園の舞台を目指す球児たちが青春時代の3年間を精いっぱいに練習に励み、勝ち進むごとに県民に夢と希望を与えてくれている。当時も今も変わらない彼らの姿を見る度に、「子に感動を返せる社会をつくりたい」と気持ちを新たにする。栽監督は子どもたちが自分の力で物事を成し遂げられる「自助」の精神を養うと同時に、人との深い関わりを通して「友情と思い出」を育むこと大切にしてきた。監督が発した数々の言葉は人生の命綱のように、キャリアを選びとる僕自身の判断の支えとなってきた。

時を経て、再び沖縄の高校野球を甲子園の頂点に導いた指導者、興南高校野球部の我喜屋優監督は「野球のスコアボードは9回で終わるけど、人生のスコアボードは永遠に続く」といい、地道な努力の重要性を説いた。偏差値や暗記型教育の点取り合戦に一喜一憂している場合ではない。どんな環境においても、自分自身の感性と知恵をベースに創意工夫を重ね、自らの足で生きる証(スコア)を積み上げていくしかない、と理解した。

新旧のお二人の指導者に共通するのは、本土で学生や社会人として暮らした経験から、「外の目」の視点で混沌とする故郷を眺め、心ふるわせた青春時代があるという事である。先に触れた、白井氏やマキノ氏、國場氏にもそれぞれに「外の目」を通した沖縄へのまなざしがあった。いずれも、ルールや言いつけを「守らせる」「従わせる」導きではなく、内面に問いかけ、親に与えられた相対の中ではなく、自ら選択肢をつくり最善を選びとることができる「自立」や「自力」の芽を育む助けに徹した。

沖縄は長い歴史の中で、地理的、文化的、経済的にアジア・太平洋のキーストーンであり続け、現代においても魅力ある人々を引き付けてやまない。加速度的に変化する経済社会において、沖縄が本当の意味での優位性を発揮するのは、魅力ある大人が子どもたちの憧れとなり、その子たちが自らの手でつくる未来に希望を見いだしたときだろう。憧れをつくれる人であるか、自分自身にも絶えず問い続けていきたい。

2019年4月 マキノ正幸氏と

(株)Polestar Okinawa Gateway
顧問 平良 尚也