COMPASSコラム  「個」で拓くアフリカとの経済連携 ~TICAD「横浜宣言」への提言~

「個」で拓くアフリカとの経済連携 ~TICAD「横浜宣言」への提言~


 世界はきな臭い―。8月中旬、沖縄からアフリカ・タンザニアとエチオピアを往復する旅路で、第三次世界大戦の潮流を予感させる元米系グローバル企業のエグゼグティブが示唆した発言が脳裏に蘇った。「軽々に話題にすることではなけれども」と強調した前置きがよけいに現実味を与え、なんとなく気にかかっていた言葉だった。

 降り立った空港から街の至るところに存在感を増す中国。生活の隅々でその恩恵を体感する現地の人々には敬虔なムスリム教徒が少なくない。社会システムの”中国化”によって黒人社会の近代化を後押しした中国に喧嘩をしかけるのは、米トランプ政権。白人至上主義的な施策や発言でアフリカ系黒人やムスリムを含む移民への抑圧を強めている。アフリカ域内では4割に上るというムスリムが、生活や文化、商習慣に浸透する中国に「親密さ」や「敬意」をもって一体化すれば、、、、ムスリムへの云われなき恐れが招く危うさと、一帯一路の源流である中国経済叩きが先鋭化する構図から、一触即発の懸念はひょっとするとひょっとする、そんな気配を感じ取った。日米同盟の核心で、経済的には既に中国の成長の受益者でもある我々沖縄にとっても、距離を越えた身近で深刻化する問題である。

中国表記の看板を掲げるエチオピア・ボレ空港内の免税店

現地航空会社の中国人向け案内所

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中国の「罠」と恩恵

 3カ月ぶり2度目のアフリカ訪問だが、改めて「一帯一路」の浸透に目を見張る。エチオピア・アディスアベバにあるボレ空港のロビー内には、中国人専用のカウンターと思われる案内所や中国人のためと分かる免税店など、入口から出口に至る道程のあらゆるエリアが中国一色で覆われていた。それはタンザニア・ダルエスサラームのジュエレス・ニエレレ国際空港やカリアコーマーケットなどの市中においても同様で、中国系の携帯端末キャリアを筆頭に中国勢の看板で景観が埋め尽くされていた。
 途上国へのインフラ投資と引き換えに中国政府がそれぞれの国に実質的支配の影響を及ぼす「一帯一路の債務の罠」への批判が相次いでいる。日本での報道をみる限り、既に現地の人々がその罠によって思わぬ負の側面に直面しているのだろうと思わされるが、政府関係者はともかく、生活者レベルにその実感が伴うのには多少のタイムラグがあるのかもしれない。むしろ周回遅れの「蛙とび」による逆転の高揚、その扇動風吹かす中国という巨大な扇風機はその巨大さ故に容易に軌道修正できない程に浸透の風を加速させている。
 タンザニアの空港で迎えてくれたドライバーのJacksonは、「今回は少し歩くよ」と高揚感いっぱいに遠くに停めた車まで「エクササイズ!」と声掛けしながらアフリカンなリズムで僕を案内する。そして「大統領の功績」と胸を張り指さす先には、中国企業が手掛ける開港目前の新ターミナルビルがそびえる。
 エチオピア航空機内で隣に居合わせた男性は「中国が新しく建設を進めている空港を見たか?」と興奮気味に語りかけてきた。「中国人はよく働くし、家族で移住して我々にも親切で、またよく教えてくれる」。誇りと尊敬の入り混じった口調で唾飛ばす会話を続ける。「一帯一路の債務の罠」に頭抱えはじめた大統領と、最大公約数とも云える典型的な受益者との間に大きな隔たりがあること目の当たりにする瞬間だった。

新しく建設されたジュエレス・ニエレレ国際空港第3ターミナル

拡張工事中の区域には中国系企業名の入った仕切り幕

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もう一つの約束

  短いインターバルでアフリカを再訪したのには理由があった。初めてタンザニアを訪れた今年5月、宿泊先の部屋に自宅の鍵を忘れてきたことに気がついたのは帰路の経由地ドバイの空港だった。ホテルコンシェルジュのCosmasに電話を掛け、鍵を預かってくれるよう依頼した。「近いうちに必ず取りに戻ってくるから」と約束して。
 あれから3カ月。タンザニア再訪の出発日はお盆の初日(ウンケー)にあたった。叔父の仏壇に手を合わせ、那覇発の深夜便で経由地のバンコクへ。リュックには新品のスマートフォンが2台。「今度来るときには、スマートフォンを買ってきてほしい」。わくわくするような目でそう頼み込むタクシードライバーのJacksonと、便乗するCosmasに「わかった。約束する」と即座に応じた。とりわけアフリカの人々にとって、スマホがどれほど彼らの日常を変え、世界を近づけるか。最初の訪問でその意味を理解していた僕には、鍵を忘れた事実と、もう一つの約束を果たす目的がつながったとき、アフリカ再訪が特別な意味を帯びたように感じた。「沖縄人は約束を守る」との後世に向けた”歴史の種まき”という念もまた、重要な動機づけになった。
 中国によるアフリカへの戦略的な投資は1990年代末から。自国経済に必要な資源エネルギーの確保と輸出品の消費市場の獲得を目的に2000年代以降、その投資額を拡大させてきた。物流網構築と同時に進めたのが、インターネット通信環境の整備とモバイル端末の普及だ。アフリカにおける携帯電話の人口普及率は2014年末時点で84.7%に上り、2003年末から10倍に急増している。固定電話の普及を一足飛びにして、日常の買いものから映像コンテンツ配信、タクシーの配車、宅配、出稼ぎ者の送金までモバイル決済を通じたサービス利用が広がっている。タンザニアでも都市部においては我々とさほど変わらないほどに、もしくはそれ以上に携帯やスマホが暮らしに不可欠なものになっていることを実感した。
 使われているデバイスは圧倒的に中国系のHUAWEI TECHNO itelが主流。アクセサリーやグッズが所せましと山積みの露店には大量の中古部品や、偽物も多く流通していた。

大量のスマホ関連グッズが売られているカリアコーマーケットの露店

中国系企業の看板が並ぶカリアコーマーケットの通り

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沖縄にできる貢献の実績

 経済発展を続けるASEAN地域の新興国、そして「最後の巨大市場」といわれるアフリカ。ともに急成長のエンジンとなったのがモバイルだろう。SNSや決済サービスを通して言論や暮らしの在り方に大変革を起こしつつある現状を、20年前だれが想定できていただろうか。2000年のロシアを加えたG8沖縄サミットですら、採択した「グローバルな情報社会に関する沖縄憲章」では、2007年に発表される初代iPhoneから始まったスマートフォンの威力を十分に考慮できていなかった。US$150億拠出して、PCと高度化するWi-Fi以前の無線LANのイメージの延長を想定に、「アジアのデジタルデバイドを是正する」と声高らかに宣言した。
 「IT普及に資する政策立案」「通信基盤・ネットワーク化の整備」など、憲章に盛り込まれた具体的支援内容はいずれも、いまや途上国の開発市場を席巻する中国の存在に追いやられたせいか、日本政府の”貢献”としては見えにくい。一方で、「JICA沖縄国際センターを(IT利用の)研修、遠隔教育の中核の一つとして活用していく」とした具体策については、それよりはるか以前の1985年から、沖縄センターが主要事業の柱として開発途上国からの研修生受け入れを継続している実情に相応しい。累計約1万人に上る研修生受け入れ事業はIT技術にとどまらず、熱帯・亜熱帯の農林水産に関する分野や、環境保全、島嶼地域の地域保健システム、エネルギー分野等多岐にわたり、その素地と実績は証明されつつある。
 8月30日に横浜で閉幕した第7回アフリカ開発会議(TICAD)。「横浜宣言」では、 日本がアフリカ諸国での人材育成を支援する「ABEイニシアチブ3.0」を評価した上で、日本への留学やインターンを促進し、今後6年間で3000人の産業人材の育成を目指す仕組みが採択された。沖縄サミットの「沖縄憲章」に盛り込まれたように、沖縄の経験と実践を裏付けに、人材育成の役割を担う拠点として「沖縄」が横浜宣言に追記されたとしてもおかしくはない。
 沖縄サミット後、日本を含めた先進国の開発途上国への関わりは各国・当事国にとって効果的で持続的なものだっただろうか。当時からはかけ離れた現状に直結する、沖縄憲章後の社会システム、とりわけ5Gに至る劇的に変化する通信環境踏まえ、沖縄県自身がテクノロジーの進化を織り込んだ施策の具体化と、その立ち位置を再定義する必要がある。技法や技術だけではなく、礼節を尊ぶ「平和の武」としての精神性を持つ、空手発祥の地、沖縄で彼らと共に学び、学ばせる環境を整えることが、我々にできる着実な国際貢献と自立経済への道だろう。

 

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つなげる信頼と架け橋

 帰国してから僕のチャットアプリにはほぼ毎日のように、タンザニアのCosmasから電話やメッセージが届き、彼のスマホには僕の近況とともに沖縄の風景が映し出されている。贈ったスマホは、中古品でも型落ちでもない。ファーウェイ製の最新モデルをあえて選んだ。特に、市内の国際的なホテルコンシェルジュを務めるCosmasにとっては、そのスマホを持つことが職責を担うにふさわしい「ステータス」と洗練された印象を与えてくれるといい、仕事のパフォーマンスが高まることへの期待感を率直に話してくれた。
「約束を守る沖縄人」は、決して彼らに「罠」を仕掛けることはしない。15歳になる彼の息子が、今回のTICAD「横浜宣言」を受けて日本への留学を目標にしてくれれば尚、嬉しく、鍵を忘れた意味がダビンチコードの様に解けていく。つい3カ月前まで地名も場所も知らなかった沖縄、スマホ一つでつながったばかりの沖縄が、彼らの中で留学先の候補地の一つになり、実現への道筋が描けるようになる日が来ることに期待を込める。と同時に、17歳のわが息子の人生の未来予想図が彼らの登場を受けてまた夢が広がるようにアップデートされることを願う。
 僕自身もまた、沖縄にどんな制度や環境があれば彼らを迎え入れることができるのか、調べ考え始めている。世界の”きな臭い”情勢をにらみながら、この分野でこそ、沖縄の特異性と優位性、歴史の強みが生かされるのではないだろうか。
 先の戦争で一度は破壊された万国津梁、 ”世界を結ぶ架け橋(People Bridge)”を再興するのは気の遠くなるような地道な作業である。訪れる国々で、最後の琉球国王、尚泰の四男尚順の孫にあたる尚悦子(本名:西園寺昌美)氏が「世界人類が平和でありますように」との願いを記した角柱「ピースポール」を建立する取り組みに触れる度に、「わーにん、うちなーんちゅ やいびーん」と背筋伸び、「世界が平和でありますように」と手を、心を合わせ拝む。
 今日も一日「世界が平和でありますように」と。

新しいスマホを手にするCosmas(左)とJacksn

かつての奴隷貿易の地・ザンジバルに建てられた「ピースポール」

(株)Polestar Okinawa Gateway 顧問 平良 尚也
(株)Polestar Okinawa Gateway 顧問 平良 尚也