COMPASS沖縄の持つ可能性とあるべき未来像

  • 平良尚也
    平良尚也
    株式会社Polestar Okinawa Gateway 顧問

    1990年沖縄水産高無線通信課卒業後、伊藤忠系IT企業にてデータセンターにおけるスーパーバイザーとして従事。

    2002年ドリームプラネットインターナショナル(*沖縄アクターズ)スクールにて教育部門を担当。

    2003年GLOBALペイメントブランドVISAのアジア太平洋のデータセンターにおいてアナリストとして従事。

    アジア太平洋データセンター立ち上げから通算16年勤務。

    2007年フォーモストブルーシール経営戦略室長。

    2013年メディアフラッグ沖縄社長その他を歴任。

    2015年に県内企業の経営者支援のほか、ベトナム香港台湾などのアジアとの戦略的接点開発を役割とする経営コンサルタントとして独立。

    エーデルワイス、長崎堂、宇治園などの老舗菓子メーカをはじめ、Polestar Okinawa Gateway、メディアフラッグ沖縄などの顧問を務める。

    平良尚也

    「沖縄を変えた男」とも言われる故・栽監督(右)に師事

  • NEWS RELEASEニュースリリース

    勃興するアジア市場、デジタル&モバイル時代に求められる人材の可能性

    沖縄水産高校(無線通信科)の野球部で故栽弘義監督の指導を受け、1990年に伊藤忠商事系のIT企業に入社した。

    その後は横浜市の中田宏市長や沖縄アクターズスクールのマキノ正幸校長の秘書、広報、VISAデータセンタにおけるアナリストなどを経て2007年、栽氏の死去を機に沖縄へ戻った。

    ITや政治、経済の最前線を経験した後に目にした故郷では、地元の若者をふびんに感じた。

    「沖縄の未来のためにクリエイトされたはずの職に、沖縄の若者が就けていない」と。原因は広い意味でのデジタルデバイド(格差)だったと思う。

    しかし、この間、モバイル端末が急速に普及した。クラウドの登場でコストの障壁は一気に下がり、「個」の能力で格差を乗り越えることが可能になった。

    さらにSNSで声を上げることが日常化し、国境を越えて言論や民主主義のありようにも影響を及ぼしている。「どこからでも主役が出てくる時代」だ。

    そのようなタイミングだからこそ“Think Global,Do Global”を実践するべきだと考える。

    勃興するアジアに最も近い日本・沖縄の地理的優位性は、「距離」を超えた無限の可能性に満ちている。

    そんな沖縄を取り巻く環境や、あるべき未来像を、テクノロジーが起こす変化の最前線から持ち帰った実感とともに考えていきたい。

    子に感動返せる社会を(2010年4月18日 沖縄タイムス掲載)

    「そもそも誰のための会社なのか?誰のための経営、組織なのか?そもそも…そして何のための?」。故郷・沖縄に帰って3年弱こんなことを考え続けている。

    東大現役が先か、甲子園の優勝が先か、大臣が先か。復帰から16年を迎えたころ、大人たちは、戦後27年間の古き良き沖縄の中のアメリカ時代を終えた後に、日本の中の沖縄になったことが良かったのかの是非を、もちろん良かったとの評価を導き出そうとする中で、待望していたように見えた。

    「甲子園の優勝が先か」時代的期待を一身に背負った恩師、裁弘義監督率いる沖縄水産高野球部の中で子どもながらに僕はそう眺めていた。僕の1学年後輩の「復帰っ子」達が、かなえたのが翌年の90年夏の甲子園準優勝だった。大人たちは、優勝戦に到達したことできっと安堵したに違いない。

    あれから20年、復帰から38年を迎えた春の選抜甲子園決勝。僕は自らが商いをする甲子園球場の決勝戦にブルーシールの経営戦略室長として立ちこうつぶやいた。

    「短い3年間という青春時代を、精いっぱいに生き、私たちに感動を授けてくれた彼らを社会で迎える私たち大人が、『大人になるっていいなぁ、楽しいなぁ、幸せだなぁ…』と彼らからそのつぶやきを日々引き出せ、感動を返せる社会を築き、はぐくみ持ち受けなければならない」と。

    そのために必要なことが、ちょうど興南高校の我喜屋優監督が優勝インタビューでいみじくもおっしゃった子どもたちの「信念」と「執念」、それと同質のものが、今、大人になった私たち責任世代に求められている。

    2年連続準優勝を成し遂げた裁監督が、こう話してくれた。卒業して進路を見失う後輩が一人でも少なくなるよう、先生と一緒に後輩に道を開いて欲しい。そのためにも社会に役立ち、故郷のために働いて欲しい。本人の生きざまと共に、僕の心の中にそっと薫陶を残してくれた。

    あれから20年。僕の転ばぬ先のつえとなり、高校球児としての実績も、学歴も、資格もない、ないないづくしの僕に、この間キャリアを作ってくれた。恩師の教え、これまで授かったキャリアを通し、沖縄の未来、子どもたちのためになる沖縄観を書き表していきたい。